美人新米記者の細うで繁盛記
〜日々是珍道中〜

1999年10月

■Y2K。 10月31日

 秋田はわりと、よく雨が降る。大学の4年間東京に住んでいて、晴れの日すごく多いなーと思っていた。それはきっと、「晴れが多い」んではなく「秋田は雨が多い」のだ。きのうの雷はすごかった。わたしの人生で近年稀に見る雷だった。ゴロゴロゴロ。そのとき、バチッ。一瞬、電気が消え、「あっ」と叫んでデスクが電算制作室へ飛んでいく。そうなのだ。コンピューターで紙面を組んでいる以上、落雷で電気が落ちるとすぐに影響がでてしまう。案の定、コンピューターはほぼ、電源が落ちてしまって復旧にかなり時間がかかった。しめきり前で大変なときで、混乱混乱。タイムリーにも、その日の社会面では「コンピューター2000年問題」を扱っていた。2000年問題以前に、雷でこうも簡単にダメになってしまうのだね、コンピューターって。思いがけず「2000年問題シミュレーションをしてしまった日なのでした。

まろ

■わたしにもどるとき。 10月25日

 22日。わたしは朝イチの全日空機で東京へ向かった。大学のとき通っていた病院とかいろいろ、どうしても行かなくてはならなかったので。翌日、昼の飛行機で秋田に帰ってそのまま仕事、というとんでもないスケジュールを決行した。ちょうど次の日から熊本で国体だったので秋田県選手団や、なんとうちの社会部スポーツ班の記者たちと同じ飛行機でいやはやもう、なんというか...。となりの席のお兄さんは、柔道かレスリングでもやってるらしくやたら体が大きい。はっきり言って関取サイズ。でも、ウマいことに、機内にはそういうお兄さんたちがちゃんと分散して乗ってて。飛行機の安全上、やっぱりそうやって点在させているのかも。だって、彼らが「富士山見える!」とか言って飛行機の片側に押しよせてしまったらどうなるのだ。飛行機かたむいてしまうではないか!おそるべし、関取。(席とり??)

 東京。まだ「なつかしい」という感情はない。だってまだ半年。まして、秋田で働いていると、時折ふと、もうひとりの自分が東京で働いているような気がして。だから、なんだか東京にはいつもいるような気にさえなる。病院を済ませて大学へ寄り、先生やお友だちと会ったり。部活の同期の子たちとお茶したり。秋田にいるとき以上にとても「わたし」で、まるでしばらく練習をしていなくて鈍っていた3 points shootの勘を取り戻したときのようなかんじ。でも、東京のどこにいても、今度は逆に、わたしは幽体離脱して東京へ来ているような気になって、自分の存在をつかみきれなかったり。ほんとうのわたしは今、どこで何をしているんだろう??

まろ

■next to her. 10月21日

 きょうの仕事終わった。1時間くらい前に。じつは、種苗交換会という、農業国あきたならではのイベントがこの季節に毎年あり、その特集号のうち1ページを割りあてられてしまっていて、しめきりはあしたなのだがわたしはあした休みで、なにもそんな、休みの日にまで出勤して特集号と格闘する気はないので、きょうをしめきりと心得、きのうからとりかかった。きのうは2時まで会社でねばり、きょうも午後から始めて完成。特集ものは、ふだんの紙面とはまた性格がちがって、いろんな工夫を凝らすことを要求される。いちばんわかりやすいのは、お正月にどっさり来るやつね。あれもじつは、わたしたちが夜中まで「うー」って悩んで写真サイズ決めたり見出しつけたりとかしてるのです。今度、気をつけて見てみてください。

 で、わたしはもうきょうの仕事終わったので文化部にいる1期上の先輩(女性)の机へ遊びに来ているのだけど。気の毒なくらい眠そうで、でもパソコン画面をにらんではまたすごいスピードで書きはじめる彼女を見ると。新聞、多くの人に読んでほしいなぁ、なんていう小学生みたいな素朴な感想が出てきてしまう。そしてわたしは、そんな一生懸命書いた原稿が多くの人の目にとまるように、レイアウトし、見出しをつけるわけです。新聞って、このハイテクの時代にあってけっこう手作業なのだ。

まろ

■Always there must be some kind of policy. 10月18日

 きょうはうちの会社の、秋採用の最終面接だった。じつはきのう、受験者のひとりと会った。昨年、最終面接までいっしょだった女の子とわたしはいまでもメールやfaxで仲良くしているのだが、札幌で就職している彼女は今年も各社の記者職を受験していてそこで知り合った女の子がうちの最終に残っているから、会ってもらえないだろうか、とのことだった。さっそく連絡をとって会うことになったのだが、思えばわたしも去年、最終のまえに女性記者の人にいろいろ話を聞きたいと思っていたし、実際に人事のほうへ問いあわせてみると、「みんな取材に出てしまっていて...一般職の女の子じゃダメですか」なんててんで見当違いのことを言われ絶句してしまった経験を思いおこせば。くすぐったいような気分にもなったりして。

 その人はずっと東京で暮らしてきた人で、でも地方紙にとても高い思想と思い入れを持った人だった。自分には「ふるさと」がないからふるさとが欲しいとも言っていた。うちの新聞をとてもよく読んでいて(HPで。)とても高い評価をしてくれていた。そんないいもんじゃないのにナー、とわたしが照れてしまったり。なかでも印象的だったのは、地方紙の役目をしっかり認識していることだった。わたしは最近、もの足りなさを感じていた。来年、外勤で取材に出ても、「秋田」に関することしか取材対象にはならない。キルギスで何が起きようと、武道館ですごいアーティストがコンサートをしようと。「秋田」に関係しないかぎり、わたしが出向いて取材することはないのだ。つまらない。もっと「世の中」のことをわたしは知りたいのに。けれども彼女の考えにわたしは心を動かされた。彼女は言う。読者がすぐ身近にいるということ、県民が関心をもっていることに敏感に反応し、悪事を暴き出して県民に知らせること。それが地方紙・県紙の役目である、と。

ガーン!というかんじだった。そうだ。わたしはたいせつなことを忘れていた。誰のために新聞をつくるのか?もっとたいせつなことがあるのではないのか?県民の息づかいを伝えることこそ使命、ではなかったか。そう思ったら、にわかに焦るとともに、彼女といっしょに働きたいと猛烈に思った。わたしはこの半年で、なにか大事なものを置き忘れてきてしまったのではないか。...初心忘ルベカラズ。 

まろ

■The time when I feel destiny. 1999年10月17日

 きょうは特別な日だ。と自分で勝手に思う。去年のきょう。日曜日。わたしは原因不明の高熱(39゜C!!)にうなされながらも英検を受け。帰って寝よう、だってこんなに具合悪いんだもの、と弱気になっていた。ある会社の入社試験を翌日に控えていて、でもこんな体調じゃとても行けない、すごく遠いところにあるし、すでに内定はひとつもらっているのだから、もうそこにしてしまえばいいんだから。母もそう言ってくれたし。そんなことを考え、山手線で新宿へ向かう。帰ろう。しかし、その日は英検のほかにもうひとつ用事があった。浦和に住んでいる、幼稚園以来の友人と夕食をともにする約束をしていたのだ。けれども、彼女と連絡がとれない。待ちあわせの時間まで、仕方ないので待つことにする。来ない、来ない、来ない。解熱剤を飲むために、無理に食物を摂る。ベンチに腰かけたまま眠ったりもする。ようやく彼女が来たころには、もう自分でも何が何だかわからなくなっていた。

 彼女は元気にわたしをイタリアンのお店へ連れていき、あれやこれやと注文してくれる。こちらの体調の悪さを知っているのだけれど、それでもお構いなし。ふだんのわたしならペロリいける量なのだが、いかんせん、体がついていかない。そして彼女はしっかり、わたしを上野駅まで送り、リポDまで買ってよこすのだ。彼女のパワーに半ば押されるようにして電車に乗る。寝台特急青森行き。そう、わたしが降りるのは秋田駅。そして受けたのがいまの会社。彼女はわたしの弱音をひとことも聞かなかった。聞こうともしなかった。

 それであの日、39゜Cでも帰らず、ひとり寝台特急に乗り、この会社を受け、合格したのだとすれば。それでいまのわたしがあるとすれば。不思議な運命を感じずにはいられない。だって、あのとき帰っていたらわたしはいまごろ、銀座の法律事務所でOLしていたのだから。縁、とか運命、みたいなもの、いつもは見えないものだけれど、こういうときにすごく立体的に感じる。

まろ

■In case of emergency. 1999年10月16日

 きょうは比較的早く終わる面だったのでとっとと帰ってきた。早く終わったら早く帰る! デスクたちが「キルギス、動きがありそうだ」と話しあっていた。そうなのだ。新聞にはしめきりがある。輪転機がまわるギリギリの時間までできるだけ最新の情報を押し込む。場合によっては、差し替えて、秋田市内だけでも新しい情報が入るようにする。いまごろ、整理部は大変なことになってるはず。早く帰ってきてよかった♪ それにしても、なにもこんなしめきり間際に人質解放せんでも...。(あすは日曜で夕刊がないから、キルギス関連の入れとかないと、「特ダネ」ならぬ「特オチ」なのだ。)

 ここでちょっとウラ話なのだが、うちの新聞は、県北部での売上がよくない。県北には、ガッチリ押さえをきかせているブロック紙があるのだ。うちの新聞が、印刷を終えて真っ先にトラックに積まれ出てゆく先は県北向け。遠いのさ。高速道もないし、山いくつも越えるし。だから最初に輸送トラックが出る。ところが、トラックが出たあとに新聞紙面に重大な誤報を載せてしまっていたら??? そこで輪転機を止めて印刷し直すのだが、出てしまったトラックは戻らない。県北へは間違った紙面が届く。

 「部数ののびない県北でなんとかがんばりたい」と上のオジさんたちは思っているかもしれないのだが、間違った紙面が真っ先に届いてしまうようではやっぱりねぇ...。

まろ

■ストレス。 1999年10月15日

 んがーっ。なんかきょうは、何やってもイライラする。いろんなことに腹が立つ。疲れているのかな。疲れるほど働いてないだろ。その通りです。でもきょうは2枚も担当したのだ。まぁ、2枚くらいはふつう誰でもできるんです。ただ、こんなに「イライラ」な日にやると、もうなんだか「イライライライライラ」。気分に左右されてるようじゃ、わたしもまだまだだ。

 整理部の仕事の流れを説明すると、

↓デスクからきょうの提稿予定を聞く。

↓レイアウト用紙にだいたいの線を引いてみる。

↓原稿を読み、見出しをつけ、量を把握する。写真の大きさも注文して、カットもつくってもらう。

↓実際にレイアウト用紙にしっかり記入し、電算制作のオペレーターさんにコンピューターで組んでもらう。

↓実際のサイズの紙に出力してもらい、デスクたちのチェックを受ける。

↓見出しなどなど直される。

↓直しを繰り返し、最終的にはフィルムに出力。

↓アルミ版に焼き付け。

印刷へGO!

となります。

 整理がかかわるのはフィルム出力より前の行程。もーう、整理には原稿の最終チェックという責任があるからいろんなことに気をつかって大変なんです。それに、レイアウトには、こまっかいルールがいっぱいあって、きのうなんか組み直しを命じられてしまった。禁じ手をやってしまったので。地味〜なこの作業、けっこうチームワークなのだ。オジさんたちは、ビール片手に仕事してたりもする。お酒が入るとノリノリになって、良い見出しが浮かぶらしい。整理部の冷蔵庫には缶ビールがぎっしり。おつまみなんかも定期的に届けてもらってるようだ。おそるべし、オジさんたち。

まろ

■インスピレーション 1999年10月10日

 やけどをした。揚げものの油がはねて、右手の親指に。冷やしてると平気なのだが、やめるとすぐ痛む。会社の隣の整形外科へ治療に通う日々。水ぶくれが毎日きちんとできてしまうのだ。で、毎日、お医者さんに針で刺してもらう。痛くはない。もうぜんぜん。ただ、ヒヨコながら、モノ書きのはしくれとして右手に包帯ってのはいかん。プロ意識に欠けると自分でも思う。反省。かといって、以前うっかり左手の中指を包丁でスッパリやってしまったときも左手に包帯、もそれはそれでやっぱり不便だった。だって、見出しを考えるときは、指を折って文字数と相談しながらだから、包帯がジャマで指折れない。部のおじさんたちに「俺の指貸してやるから早く見出しつけろ」と笑われたものです。フゥ。

 てなわけで、ここ何日か、自分でごはんつくっていない。買ってきて食べる。きょうは日勤だったから、だれかつかまえていっしょに夕ごはんを、と思っていたのだが、だれもつかまらない。それはそうだ。世間様は3連休。ひとり、車で市内をまわる。何食べよう。ラーメンにしようかな、それともイタリアン?でもひとりで食事になんて、秋田に来てから行ったことない。ぐるぐるぐる。いろんなお店に車停めてのぞいてみるのだけど、「また今度にしよう」と思うばかり。やはりひとりで行くのは気がひける。なんとなく。ぐるぐるぐる。すこし遠くまで行って、気になっていた小さなレストランへ思い切って入ってみる。中では、コック帽のおじさんが、ひとりで店内を忙しく行き来していた。

 「時間かかるけどいいですか?」

 気長に待たせてもらうことにする。ほんとに小さなレストラン。テーブルはたった5卓。客は家族連れ4人とカップルひと組、とわたし。外はとても寒いのだけども、コック帽のおじさんはひたすら大汗かきながらフライパンから時折、ボォーッ!と火を出しお料理をつくって、自分でテーブルへ運ぶ。わたしはその様子を楽しみながら、友人へメールを書いてみたり。ようやくわたしに料理を運んでくれたころには、もうほかの客は帰ったあとだった。あたたかなコンソメスープ、ナイフを入れるそばから崩れてしまうほどやわらかい肉。どれもわたしを満足させるのに充分なものだった。

 コック帽のおじさんは、カウンター越しにいろんな話を聞かせてくれた。秋田のよくないところ、商売の下手な気質。それは、わたしがこの会社に入って変えたいと思っていた秋田の姿のことだった。よかった、秋田の悪いところを知っている人はちゃんといる。そう思えただけで、なんだかとても落ち着いた。

 穏やかなときを過ごし、べつの客が入ってきたところでわたしは店を出た。「今度はお友だちと来ます」と、コック帽のおじさんに約束して。けがの功名、ってこういうことを言うのかもしれない。ひとりのときでも、はじめてのお店でも、思い切って入ってみるものだ。

 思えば、東京にいたころよりも「インスピレーション」で動くことをしなくなった。博物館やアトラクション。東京には「なんとなく」行ってみようと思わせてくれるものがあったしすぐ行ける手段だってたくさんあったから。秋田にはきっと、それがない。しかも、そのことに気づいてもいない。わたしのインスピレーション、もしかしたら鈍ってしまったかも。だからきょうは、インスピレーションで動けたのはまさに勇気と「けがの功名」なのだ。

 こんなすてきなめぐり合わせをくれた神さまに感謝。

まろ

 

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